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2016-02-15

個を強くすること 司馬遼太郎の「この国のかたち」を見て


IMG_2589司馬遼太郎の日本人についての特集をNHKで見た。

日本人のルーツは坂東武士という、鎌倉あたりにいた農家で武士であった人々。坂東武士は「名こそ惜しけれ」と言って、つまり恥ずかしいことはするな、というのがポリシー。坂東武士の芸(歌舞伎?)が紹介されていて、貧しい坂東武士が貧しい旅人をもてなすために、大切にしてきた木を切って暖をとらせたと。個と公のあり方について、話が進みます。

ちなみに鎌倉幕府は、武士の作った幕府。貧しい者たちで作り上げた画期的な幕府であった。農民に畑の所有を認めさせ、精神的に自立を促せた。公を意識した政治のあり方が始まりました。そこから農民たちをまとめ上げる武士に対して、農民からきちんと敬意を払ってもらうには、と武士としてのあり方が示された。

例えば、朝早く起きる。遅くに起きると何もできないし、だらしがないと思われる。など。司馬遼太郎は武士、特に幕末の武士道は人間としては少しいびつだけれど、人間の芸術品と称しました。

その流れで、明治も政治家たちが痛々しいほど清かったそう。たった4年で日本中に郵便の仕組みが整えられたり、学校ができたりと、これは各地方の有力者に中央政府が公務として仕事を与えたことが受ける側は誇らしく、公のためにと急速に普及したらしい。清い政治家、生まれてこのかた見たことない。

しかし、戦争期は個を殺して公に。といういびつな形が出来上がる。お上のために、お国のために。

昭和の経済成長は日本人らしい、幸せな社会作りだったという締めくくりで、しかしまだまだ日本人は個が出てきていない。とのことだった。

確かに、今までの社会は個について言及してこなかった。みんな、という言葉で括られる見えない実態。多数決という個を殺す仕組み。体質だって、一人一人違うのに、これを食べたら良くなると、個体差を考慮しない情報が主流。

日本人は公に対しての感度が確かに高いが、個に対しての感度が低いとも言える。それが私が感じる、日本の息苦しさかもしれない。(生き苦しさ)

 

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